気付きその2

カウンセリングを3年ほど続け、先生に疑問を持ったり怒ったりしながら、最近やっと色んな事に気付き始めています。

私が一番自分に没頭し、好きな事を一生懸命やっていた多感な頃(12-16歳)の記憶がすっぽりと抜け落ちています。

大好きだった音楽、数え切れないほど読んだリルケゲーテ、日本の詩人の言葉、聴いたラジオやアーティストの事。
それは私が今やりたい事の原点になっているのに、何故だか不思議にディテイルを思い出す事が出来ません。

高校に入ってから好きな音楽を始めたけれど、それは皆で出来る音楽であって、自分が愛した音楽ではなかった。
悪いとは思わないけれど、私の妥協と他人に合わせる、と言うのはここからスタートしたような気がします。

それから20年以上も自分の気持ちは内に置いて、他人のしたい事や親の希望や夢、社会の規範に自分を押し込んで生きて来た結果、この病気が発症したような気がします。

こんなことがありました。
学校でも家でも独り遊びが好きで、本人はちっとも気にしていなかったのに、母親と担任が「友達がいない」事が問題だ、と私に友達をあてがったのです。たまたま彼女とは気が合い、仲良くなり大人になっても親交は続いたので結果オーライですが、

別に私は寂しくなかったし、友達?へっ?どうして? と感じたのを覚えています。
友達が居ないのが私の個性なのです。

今、それに気付いても遅いかな。
本当は独りで黙々と好きな事をするのが何よりも楽でした。友達と遊ぶより独りでいたかった。
飲み会は苦手なのに盛り上げ役でした。人混みも苦手でお出かけは嫌い。人のお世話をして姉御肌を演じ続けて、もうそれは終わりにします。

したくてもパニック発作が出てしまうから、人混みに行けないし
子供の頃から出かけるのが嫌いで疲れやすかったから、きっと無理が出来ない身体なのだと思います。

自然の自分を見失い、強くなり、社会に合わせ、誰からも評価されて上手くやれる人間になろうと、無理で空回りな努力を続けた結果がこれだった。
でもそれは無駄ではないと思うけれど。

もう他人に合わせることもありません。
嫌なら会わなければいい、それだけだったのです。
家が好きならトコトン家に居て好きな事をすればいい。
それが私だったのに。

回り道をしました。
でも今気付いた。

だから良かった、と心から感じています。
自分の心がクリアに見える、それは一番の幸せです。