気付き

2月からエビリファイが追加になり、かなり動けるようになって来た。
鬱状態を通り抜けて軽躁まで行ってしまったので、まずは1/2錠に減らし、今月に入ってからエビリファイの服用を止めて、鬱に戻してみた。

3日目くらいから身体が動かなくなり、「あぁ、やっぱりまだ本質は鬱なんだなぁ」と実感したが、軽躁中はとにかく眠れなかったので、心行くまで寝まくった。

薬で動かされ、追いたてられているようで
買い物も連日行ったりして、何だかばかばかしく、苦しくなって来たのだった。

主治医が言っていた「やや鬱」が一番良いと心から実感した。
しかし、急に断薬するのも良くないと思ったので、主治医に相談。
必要時に1/4だけ服用することにした。
それでも充分に利き目があるので、出かける日などに限定して飲むのだが、睡眠障害が酷く、睡眠薬を飲んでも3時間位しか続けて眠れないし、便秘もひどくなってしまった。

薬って難しい。

結局、この病気(今は病気と思わないが)と一生付き合うためには、薬の助けも必要だけれど、生き方を根本的に変えるしかないのだ。

私は気付いてしまった。
子供の頃、したいようにしていた頃の事を思い出して。

あの頃病気だったか?
そんなことは無く、自分の心の赴くままに、本を読んだり一人遊びをしていた。
教育の中でしたくない事を次第に強要されるようになり、叱られるのが怖い自分は、周りの空気を読み、合わせるという技術を使うようになり、いつしかそれが自分になってしまったのだった。

自分でない自分を長年続ければ
こうなってしまうのは当然で、私は狂人でも何でもなく、
適応障害、と言われる雅子様が可哀想でならない。

主治医に「刺激の少ない生活を」と言われ、なるべく瞑想や深呼吸、リラックスを生活に取り入れるようになった。
何かをやらねば、と思うことを辞めた。
とにかく、したい事だけをして自分の心を中心に考え、生きる事にしたのだ。
それはわがままでも何でもない。

私は人混みが苦手=行かなければよい
私は独りが好き=独りでのんびりすればよい
静けさが好き=家が安心出来る場所だから、必要以外でかけない

ひきこもりも悪くないのだ。
社会に出なければいけない、誰かとつながらなければイケないなんて誰が決めたのだろう。

ゆえに、パソコンもしたい時だけ。

別にコメントしたりイイネしたり、気を使う必要もなく、
今までの友達も必要ない。

猫が死んで寂しくなったけれど、私は独りで過ごした子供の頃に戻って、本を読んだり、映画を観たり、疲れたらしっかり横になって眠る。
何が出来ない、やらなければ、付き合わないと、
「しなければならない事」「空気を読むこと」「必要以外に人に会うこと」を辞めたら、もの凄く楽になった。

世間の常識

それは人間の自然の状態とは異なるから
自分なりに生きればいいのだ。
死なない程度に。