普段は出さないように

最近は少しずつフツーっぽい生活が出来ている気がします。
今日は早起きして、冬物や布団を片付けたり、ゴミに出すものを纏めたりしてました。
ただいま小休止。

一番酷い時期は30分置きに停止していたので、それを考えるとすごい進歩。

でも日によって変動があるのでまだ油断出来ない。
外出した時の帰りとか本当にクタクタになってしまう。

それでも運動らしい事もしていないので、出来る日は
調子の上がる夕方から外に出て歩くように心がけている。

でもこの「心がけ」がいけない...(^_^;)

私の場合「心がけ」は強制になってしまって、出来ないと自分を責めてしまったり
「ねばならない」に段々変化したりする。

どうしてこういう考え方なんだろ...自分であきれてしまいます(T_T)

出来なかったら出来ないで

「ま、いっかー」

「明日やろうー」

とかゆるーい考え方が出来ればいいのに。

どこまで緩めていいのかが分からない。

緩めたらどこまでもどこまでも、だらしなくなってしまうのではないか?
と恐怖を感じるのです。

もしかしたら、だらしない自分は人から受け入れられない、と思い込んでいるのかしら。

そうに違いない。

だからと言ってこういう私が完璧になんでも出来るわけではなく、それなりにダメな所は一杯あるのだ。
そして誰でもダメな所を許してもらって生きているのだ。

それはわかっちゃいるけれど。

人生において一番難しいのは、自分を好きになる事なのだろう。

私の好きなアーティストが「自分を好きになりなさい」「自分に自信を持ちなさい」と唄っている。
「自分を好き」な人も行きすぎると自己愛性人格障害と云うパーソナリティで人に迷惑をかけたりする。程よく自信を持ち、程よく自分を好きになるのは実に難しい。

こういう考えは普段は出さないようにして生きている。

若い頃はこんなテーマでも友達と話し合う事があった。色んな事についてずっとお喋りをした。会話を通して他人を知り、そして自分を知る事が出来た。

今はそんな機会はそうそう無い。

良い年をした自分でも迷い、つまづき生きているのだが、若い時と違うのは「孤独」だと云うことかしら。

自分の考えや感じている事を話し合う機会は大幅に減った。

というより、今は無いかも...(^_^;)

だから人は年を取って問題にぶち当たって誰かに話したい時、カウンセリングに行くのかな。

or, こうしてブログを書いて自己を振り返るとか。

そうやって考えが堂々巡りしている。

考えを云わないで隠してもいて、うつ病らしく辛そうにするのも申し訳なくて
なるべく普段は出さないように
普通にふるまうようにしているけれど、本当は「ひゃあ、もうダメ!」って時がまだある。

少し活動出来るようになると、一緒に居る人は健常者だと思って
同じレベルを要求してくる。

でも

ホントはまだまだ辛い。
まだまだ昔のようには動けない。

きちんと主張するのも今の私にはキツいことなのだけれど

云わなくちゃ分かんないのよね。

ああジレンマ。