カウンセリングの事など

今日は連投してみます。

前回の診察時にカウンセリングも受けました。
もう3回目なので、だいぶ慣れて来たカンジ。

今のところは時間をかけて私の生活史(要するに自分史かな?)をお話しているのですが、
一番色々な事があった20代半ばまで辿り着きました。

話の中で、一番印象に残っている、または関わりの深かった、影響を受けた人は?と言う
質問がありました。

親は悪い人達ではなかったけれど、進路や人生のことは親には何も相談出来なかったのです。
うちの両親って勝手に自分の話ばっかりしている印象があって、
私が少し悩みを話しても、いつのまにか母親の愚痴に代わってたり、教育ママとは正反対で中学以降は我関せず、お前の好きなようにしたらいい。だってどこの学校が良いとかそういうの全然分からないからさーって感じの母親。
父親は超然としていて無口で、現実的な事を話した覚えが全くありません。

だから自分の事は全然相談出来なかったのです。

就職してから初めての職場で出会った10以上年上の女性の先輩には、とってもお世話になりました。人生、恋愛、親との関係など全て相談して同じ目線で話をしてくれた大切な人です。

彼女自身もアウトローで芸術肌、感性の強い人だったので
きっと私とウマが合ったのかなぁと思います。

本当に可愛がってもらったし色んな事を教えてもらいました。

それから私が今も続けている事の師匠の話もしました。
彼もまたアーティストだから普通の人ではなかったですね。

考えてみたら、アウトローな人ばかりが私のメンターだったような気がします 笑。

そんな話をカウンセラーさんにしています。

カウンセラーさんは言いました。

私に初めて会った時から、芸術的で感受性が強く、そんな仕事なのかな?と思うオーラがあったそうです。

そう言われると、それは当たっている事なのですが
今の私にとっては辛い事でもあるのです。

世の中に対して逆行するアウトローとして強く生きて行ければいいけれど、そんな強さは私にはありません。
だから世の中と折り合って、社会の一員として溶け込み
きちんと自分で生計を立てられるようになりたいと常に考えていたから。
そう振る舞えるよう、最大限努力して来たつもりでした。

普通に生きて行きたいと言う気持ちと
私の芸術的感性(あるとするなら)が矛盾を起こしているのかなぁ。

そんなことを考えてしまった一日でした。

カウンセリングは予約が取りにくく、早く良くなりたいと思っている私は
先まで何日か続けて予約出来ませんか?
とカウンセラーさんに尋ねました。

すると彼女は

「その"早く良くなりたいから予約を続けて取る"と云う発想が、頑張り過ぎを現わしているような気がするんですが、いかがですか?」

と私に言いました。

私はとても驚いたのですが、言われてみれば確かにそうなのか、とも思います。

物事を違う視点から見ることは、自分については本当に難しいことです。
「頑張り過ぎの度合い」は自分では少しも分からない。
どこまでやればいいのか、どこでストップするのか、
完全に見失った状態が今につながっているのだと改めて感じました。