あれからもう一年が過ぎた

明後日は母親の命日。

あれからもう一年になるのか...。早かったような遅かったような不思議な一年間。

こんな時間を過ごす事はまたあるのだろうか。

お母さん、今頃空の上でのんびりしているかな。
お母さんがいない時間に慣れて来ました。
最初はお母さんの事が恋しくて、独りぼっちになった事が辛くて
泣いて暴れて、何度も死のうとしたよ。
お母さんとお父さんの所へ行きたかった。

何歳になっても私は子供のまんまだったんだ、って良く分かったよ。

お正月は嫌い。お母さんの事を思い出すから。
お父さんが生きていた頃は、何にも二人の事を心配しないで、自由な時間を満喫していた私。
二人で楽しくやってくれればそれでいい、って思ってたよ。

あれだけ喧嘩して大変だった二人が仲良くしてくれて嬉しかったな。

でもお父さんが死んでから、私はお母さんと二人になって、どうしようか途方に暮れた。
お母さんは、住み慣れた場所を離れるのは嫌だと、お友達が沢山いて
いつも訪ねてくれるからと、せっかく買ったマンションにもたまにしか遊びに来てくれなかったね。
ローンのために車を手放してからは、余計に遠くなっていったような気がする。

でも元気な頃、お友達と踊りを習ったり、カラオケに行ったりしてた頃はまだ良かったけれど、
今、思い出してみれば、お父さんが死んでからの月日、お母さんともっと過ごしたかったんだよね。
その気持ちを押し殺して、私は音楽に、そして他の事に埋もれて行った。

今だったら迷わず家族でのんびり過ごす道を選んだのに。
お母さんがなんと言おうと、一緒に過ごせるように頑張ったのに。

色んな人が慰めてくれた。病院しか面倒看れないと、介護したら共倒れだと。
もちろん、離れていたって結果的に共倒れになってしまった私だけど。

家族がどんなに大事か。失くしてみないと分からない。

お母さんの顔、あたたかい丸い手。
悪くなってからは、意識的に手をつないで歩くことにしていたの。気付いてたかな。

お母さんの顔は日々薄れていくけれど、あのまあるい手は決して忘れない。
そして最期の前日に渡した手紙も忘れない。

私が最期の時は独りでも全然後悔はしないよ。

誰かがいるって時には辛いものだね。置いていくのも、失うのもどちらも痛すぎて耐えられない。

だから、私が逝く時は独りで静かに眠りにつきたい。だからきっと一番最後がいいんだと思う。

色々書いたけど、去年から今年に負った心の傷は私の人生を根幹から揺るがして
すべての景色を変えてしまった。
今も後悔や苦しみは残っているけれど、自分の残りの人生を歩いていかなくちゃならないの。
だから少しずつ前に進むよ。
だから少しずつ喜びを増やしていくよ。

ごめんねお母さん。
いっぱいいっぱい好きだった。
きっとお母さんの思うより、ずっと私はお母さんが好きだったよ。