カウンセリングその5
今日は週1回のカウンセリングと診察の日でした。
我が家からは1時間と15分程かかります。
歩きもノロノロ、電車の乗り換えも急がず慌てず。
以前は早歩きでエスカレーターを駆け上がっていた私。
今は意識的にゆっくりゆっくり進むようにしています。
今日のカウンセリングは特筆すべき点は無かったように思いますが、
主に、私の家系の話になりました。
親族も色々あるし、自殺した叔母も居たりして、
本当に事件の多い家系なのですが、
説明しているうちに段々動悸が激しくなってパニック発作が出そうになりました。
過去の事を話すと、いつもこうなってしまいます。
よっぽどトラウマなのかな。
今日はとりとめも無くお話し、また大丈夫ですよ、と励まされて
主治医からは、「外から見えなくても病人なんだからくれぐれも無理しないよう」
言い渡されて帰って来ました。
相変わらず漢方薬と抗不安薬のみで頑張ってます(頑張ってるというのかしら?笑)
で、何となくですが、
今日は「あきらめる」と言う言葉が心に浮かびました。
うつ病を患い、社会復帰したい、元のようになりたいと願う気持ち、
それは無理なのだと。
モチロン、良くなって何かをするエネルギーが出て来たならば、なんらかの形で社会の為になることをやりたいなとは思います。
が、元の自分はもうどこにもいないのだと、ふと、思いました。
120%の力で走り続けて来た(つもりの)自分。
今までの私は、
仕事も評価されるくらいいつも頑張ってやって、家事も完璧にして、音楽も手を抜かないで、練習しすぎだと言われる位やって、女性として美しくいることも心がけて、
スキルアップするための情報収集も怠らないで、
いつも人に感じよく接しようと努力して、愚痴も言わないで、
それでも自分はまだまだだと叱咤していた。
そんな自分とはサヨナラです。
そしてあきらめました。
細胞の隅々まであきらめが身に沁みたかどうかはまだ疑問ですが、
私の心に大きな穴が開いて、風が吹き抜けていきます。
私は小さく小さくなってしまいました。
人は自分が本来持っていたエネルギーしか使えないのです。
それ以上に執着していた自分をあきらめます。
今は綺麗でいようと思わないただのオバサンでいい、と思えます。
うつ病の悲しいところは、楽しい、これやりたい!と感じられる気分になれない事だけど、
ささやかな夢としては、美味しいものを誰かと食べて「美味しいなぁ」と感じられる位になれたらいいな。
あきらめが肝心
とは良く言ったものだと思います。
さて、あきらめた私はどこへ向かうのでしょう。
そして明日からどうやって生きて行くのでしょうか。