カウンセリング14回目

きちんと回数を数えていなかったのですが、今日で14回目のカウンセリングでした。

先週は身体が全く動かず、代わりに家人に行ってもらいました。
家人にもケアが必要だと思ったのです。

今日は心にずっと蓋をして来た事を話しました。だから、今、こうして書いているのもとてもツラくて苦しいです。
でも記憶が新しいうちに記しておこうと思います。

まずひとつは、私のうつ病のきっかけになった猫の死についてです。
今日は、私が一杯一杯話したので、先生のコメントはほんの少しでしたが、

私はその猫の死によって、頑張って来たことが
「ぷっつん」と音を立てて切れてしまったと言う事が分かりました。

誤診をした医者への憤り、大好きだったのに6年しか一緒に居られなかった悲しみ。
涙を我慢しながら仕事をしていた事。

そして、今、飼っている猫が粗相をするとパニック発作になってしまうことも話しました。
その子の事も心から愛しているけれど、何かを求めて鳴き続ける時や、
粗相したときのおしっこの匂いで気が変になりそうな位、胸がバクバクしてしまうこと。

その原因は、
人だったら少しは我慢出来る「おしっこ」を本能的にしてしまうその猫に対して、
ずっと人生で我慢し続けて来た自分が「許せない」気持ちを湧かせてしまう為だとの事でした。
先生は、思い切って里子に出してはどうか、と仰いました。

もちろんそれは、今、治療に専念しなければならない私の環境にとっては
理にかなっては居るけれど、
改めて他人から猫を「手放せば」と言われて、
私はとてもショックで悲しくなりました。

里子になんて出せない。いくら苦しくてもそれは無理。
今の自分に判断は出来ないし、健康になった時に絶対後悔するから。

今も胸が痛く、バクバクしています。

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そして私の生い立ちの事を話しました。これもずっと蓋をして来たことです。

私は自分が子供から高校時代を過した地域が大嫌いでした。
友達も同じ思いの子が居て、絶対に実家に帰らないと言う言葉を残して、お金持ちの家に嫁いでいきました。その位、住んでいる人には申し訳ないけれど、その地域はスラムのような場所でした。

私の小学生時代のある友達は殺人事件で父親を亡くし、転校していきました。
バカにする訳では決してないですが、どんな仕事をしているか分からない、生活保護を受けている人も多かった地域です。
私の親も働いてはいましたが、経済的には厳しかった。

高校から大学まで奨学金をもらい、バイトをして仕事をして生きて来ました。
19歳で胃潰瘍になり入院しました。20歳で家を出てお金は全然ありませんでした。
過酷な青春時代だったと思います。

私はそのスラムを抜け出す為、必死で勉強して、違う世界に行きたかったし、その後の人生もそこに近寄らないようにして来たと思います。

そんな学生時代を振り返ることは、苦痛以外の何者でもありません。
蓋をしていたものが、もうどうしようも無く、
膿を持った傷がズキズキ痛んでいます。

私の人生の殆どはスラムに住む自分の親を幸せにしたい気持ちと、そこから抜け出したい一心でやって来ました。

先生は私の話を聞き、
あなた「根性」の人だね。と仰いました。
「とにかくものすごい根性がある。だから動けなくても、こうしてここに来てくれるのね。」と。
そして私を「有能」だと褒めてくださいました。
嬉しかった。動けない今、「有能」なんて言葉を聞くなんて思わなかった。

こうして動けなくなった今、スラムから抜け出したかった私の思いって
何だったのだろう?と自分に問いかけます。

来週続きを話しに行きます。