To be myself 自分になること

今日はお天気が良く気持ち良い。
でも明日は早朝から検診があるので、落ち着かないし、何もする気が起きない。

週に2回、介護で家事をやってもらって本当に助かっている。
動けない中、何とか頑張ってやっていた事をしなくて良いので、その分休養が取れている。

でも、今の私はあえて何もしない事にしている。
もちろん通院もあるので、何もしない、外出しない訳には行かないのだけれど。

今までやって来た事がどれだけ、オーバーワークだったか。
今更ながらに思い知らされている。

そして、私は「本来ある自分」になる為に、何もしないで、
新しい意欲がやって来るのをただ待っている。

もしかしたらそれは、
過去の私と全く違う方向に行く事かも知れない。

子供の頃、したいと思っていた事を純粋に追いかけていたように
今は、若い頃の体力は失われて、もしやりたいと感じた事があっても半分も出来ないかも知れない。
そしてそのまま年老いて動けなくなる日が来るかも知れない。

でもそれで良いのだろう。

成功の味を味わわなくても、あちこち動けるうちにと、飛び回らなくとも
仲間を増やさなくとも、それは私が描いていた摩天楼。

今は身体と心の声を聴く時なのだろう。
だから、自分の思考の向きと、本来の楽な姿を思い浮かべてみようとトライしている。

本当は人混みは嫌い。大勢の飲み会は嫌い。大勢の人とうまくやろうなんて無理。
争いごとに巻き込まれたくない。人の世話ももうしたくない。
ひとり静かに過ごすのが好き。
眠る前の読書が好き。猫の姿を見るのが好き。
緑の一杯あるところ、海が好き。
ストレッチやヨガが苦にならずに気持ち良く続けられている。
スキンケアだけは楽しいから好き。
美しいものを少し眺めればうれしい。

若い頃、私は沢山のものに囲まれ、消費し、色んな所へ行き、
美味しいものをたくさん頂いた。美味しいお酒もたくさん飲んだ。
大勢の人に会い、恋をして一生残る傷を心に負ってしまった。

その傷は時が癒すかも知れないけれど、傷跡は一生遺るだろう。

今の私に必要なのは本来の自分になること。

もう腹五分目でいいのだ。身体の声はそれが楽だと言っている。
添加物が沢山入ったジャンクフードは食べられなくなってしまった。
カフェインレスのコーヒーを午前中に一杯だけ、丁寧に淹れて飲む。
お腹が空いたら、少しずつ食べる。

言いたいことがあれば、素直な気持ちで伝える。
伝える必要がなければ、そのままにしておく。
抑圧するのではなく、let them go 解放して、流していけばいいのだろう。

私は私であるために生まれ変わろうとして、
今は赤ん坊の頃のように、沢山眠り、適量を食べ、愛と平安を感じて毎日を過ごす。
そのうちに、その私は少し成長し、自然な姿で時の流れの中に戻って行けるだろう。

だからその時まで待つことにする。