猫の病気

4年前の震災後、可愛がっていたメス猫が死んで、
私はそのショックとストレスから、どんどん鬱になっていった。

そして、夢中で働き、人生を考え、休めない心と身体はその機能を失いかけた頃、
母の介護が私をより一層の苦しみへと引っ張っていった。

そして母が死に、

命あるものが死ぬこと
大切な人が居なくなることの

不安と恐ろしさを嫌と言うほど味わった。

先月中ごろから、私が一番最初に拾った10歳のオス猫が痩せて来て、
どうしても心配で仕方なく、家人に頼んで医者に連れて行ってもらった。

一回目の診察では、なんとも無い、体重の減りがあるようだから、また減るようだったら連れて来て下さいとの事だった。

毎日、軽くなって背中に骨が浮いてくるこの仔を見て、
私はまた家人に頼んで連れて行ってもらい、血液検査とレントゲンを取ってもらった。

頼まないとやってくれないのか、と腹立たしい思いがした。

その結果、食道に結構大きな影があるとの事で、動物専門のがんセンターを紹介しましょうか、と言う話になった。

その間、3週間。

猫の時間と人間の時間は違う。猫の一日は人間の五日なのだ。
悪いと感じたらすぐ対処してほしいのに。

食道に腫瘍があるなら、お腹が空いても食べられないのは当たり前で、
道理で、餌の前でうろうろとしてカリカリを少し食べるだけになっていたのだ。

自分が痩せていく過程で、飢えは身体が軋む様な痛みを伴い、餓死する事がどれだけ残酷なのかと想像出来たから、

食道が詰まって食べられないこの仔が不憫でならない。

だからいろんな餌を買ってきて試すけれど、なかなか食べてくれない。
仕方ないので、おやつチューブだけを何度も与えている。それだけはなめられるみたいだから。
あと、猫にはいけないのかも知れないけれど、ハチミツをなめさせてみた。
とにかく高カロリーなものを採ってほしいから。

お腹がすいてウロウロし、日に日に痩せていくこの仔を見ていると本当に悲しくて
涙が出てくる。私の鬱がぶり返さないかと、それも不安なのだ。

もうすぐがんセンターに連れて行けるよ。
だからそれまで何とか頑張って。

お前まで居なくなったら、私の心はまた壊れてしまうよ。

命が消えることは自然の摂理で仕方ないけれど、どうか私にもう少し時間を下さい。
あまりにも続けて大切な存在を失うのはもう耐えられないから。

落ち着いて来た

2014年9月から、ずっと気分の波と毎日の状態をExcelに記録し続けている。
そして、秋から始めた寝る前の儀式、自己流「腹筋とストレッチ」&「ヨガ」&「呼吸法と瞑想」を殆ど一日も欠かす事無く続けられている。

抗鬱剤を飲まなくても、少しずつ鬱は回復に向かっているようだ。
自然治癒力は凄いなぁ、と改めて実感する。

寝る前のストレッチも腹筋も、習慣になってしまうと、むしろ楽しみなくらい。
独りで家にいたって、どうしても情報の波に揉まれて頭がパンクしそうになる。
パソコンやテレビ、の情報で疲れた頭と、寝てばかりいてやせ細った身体にはストレッチが本当に気持ち良い。
スピリチュアルな事を頭から信じる人間では無いけれど、自然に任せて生きる力はほしいな、と切に思う。瞑想もアロマも、無理に人に勧めたりはしないけれど、
私にとっては、コンクリートの塊の街や家の中で、唯一自然に触れられるモノなのだ。

その繰り返しの中、最近、ようやく波が落ち着いて、音楽が聴けるようになった。
他のうつ病の方のブログを読んで、私よりも長患いしていらっしゃって
まだ本が読めない、と書かれていたので、
お辛いだろうな...と想像してしまう。

瞑想が終わった後、好きな本を少しだけ、眠くなるまでの間読むのが至福の時間。
文字が読めて本当に良かったと感じる。

逆に大音量や、バラエティ番組、ニュース等が辛い。
あと計算が出来なくなった。
呂律も回りにくい。

でも今はこれでいいのだ。

好きなときに寝て、寝られるだけ寝て脳を休める。
それでも人は何かをしたくなり、それにエネルギーを費やしたら、
また休む。

休むタイミング(している事をあきらめる、体のサインを見逃さない)が大切だし、今の私は人の何倍も休む時間が必要である。

けれど、よくなったとしても、私は休めるだけ休むだろう。

現代の人間は、昔に比べて動き過ぎ、過活動だと心の底から感じるからだ。
何もせずぼーっとし、
眠くなったら眠り、
自堕落なほど、休むことを身体に覚えさせて

無理をしない、それがキーワードなのだと思う。

だから、今までの鬱治療で言われていた、規則正しい生活とか、適度な運動とか、
それが患者さんを逆に追い詰めているような気がする。

寝れるだけ寝る、動きたくなければ動かない。
何もせず、じっと目を閉じて、心も休める。
胃腸に負担のない食事を少しずつ取る。

冬だったら、自分は熊なんだから冬眠中、と思う位休んで良いのだ。

そうしないと治らないんだって、私の身体がやっと分かり始めている。

あれからもう一年が過ぎた

明後日は母親の命日。

あれからもう一年になるのか...。早かったような遅かったような不思議な一年間。

こんな時間を過ごす事はまたあるのだろうか。

お母さん、今頃空の上でのんびりしているかな。
お母さんがいない時間に慣れて来ました。
最初はお母さんの事が恋しくて、独りぼっちになった事が辛くて
泣いて暴れて、何度も死のうとしたよ。
お母さんとお父さんの所へ行きたかった。

何歳になっても私は子供のまんまだったんだ、って良く分かったよ。

お正月は嫌い。お母さんの事を思い出すから。
お父さんが生きていた頃は、何にも二人の事を心配しないで、自由な時間を満喫していた私。
二人で楽しくやってくれればそれでいい、って思ってたよ。

あれだけ喧嘩して大変だった二人が仲良くしてくれて嬉しかったな。

でもお父さんが死んでから、私はお母さんと二人になって、どうしようか途方に暮れた。
お母さんは、住み慣れた場所を離れるのは嫌だと、お友達が沢山いて
いつも訪ねてくれるからと、せっかく買ったマンションにもたまにしか遊びに来てくれなかったね。
ローンのために車を手放してからは、余計に遠くなっていったような気がする。

でも元気な頃、お友達と踊りを習ったり、カラオケに行ったりしてた頃はまだ良かったけれど、
今、思い出してみれば、お父さんが死んでからの月日、お母さんともっと過ごしたかったんだよね。
その気持ちを押し殺して、私は音楽に、そして他の事に埋もれて行った。

今だったら迷わず家族でのんびり過ごす道を選んだのに。
お母さんがなんと言おうと、一緒に過ごせるように頑張ったのに。

色んな人が慰めてくれた。病院しか面倒看れないと、介護したら共倒れだと。
もちろん、離れていたって結果的に共倒れになってしまった私だけど。

家族がどんなに大事か。失くしてみないと分からない。

お母さんの顔、あたたかい丸い手。
悪くなってからは、意識的に手をつないで歩くことにしていたの。気付いてたかな。

お母さんの顔は日々薄れていくけれど、あのまあるい手は決して忘れない。
そして最期の前日に渡した手紙も忘れない。

私が最期の時は独りでも全然後悔はしないよ。

誰かがいるって時には辛いものだね。置いていくのも、失うのもどちらも痛すぎて耐えられない。

だから、私が逝く時は独りで静かに眠りにつきたい。だからきっと一番最後がいいんだと思う。

色々書いたけど、去年から今年に負った心の傷は私の人生を根幹から揺るがして
すべての景色を変えてしまった。
今も後悔や苦しみは残っているけれど、自分の残りの人生を歩いていかなくちゃならないの。
だから少しずつ前に進むよ。
だから少しずつ喜びを増やしていくよ。

ごめんねお母さん。
いっぱいいっぱい好きだった。
きっとお母さんの思うより、ずっと私はお母さんが好きだったよ。

うつごころ

タイトルを最初のものに戻した。
誰かから、タイトルが暗いですね、とコメントを貰って変えたけど、
花の咲く頃には、元に戻れそうにないから。

元に戻ると言うのとは、意味合いがちがうかも知れない。
新しい自分になり、それと向き合って生きること。

まあいいや、と思って生きられるようになること。
今の自分が幸せだと受け入れる事ができるようになること。

そうなるには、もう少し時間がかかりそう。

一人の部屋。帰る場所の無い私。
昼ごろ起きてフラフラだったけれどお風呂に入って、
一人暮らしだと思って、洗濯物を入れて畳んだ。もうご飯を用意して食べる気力もない。助けの得られない精神障害者の方たちは、どのようにして、生きて居るのだろうか。

心が空っぽだったから、頑張って色んな事をして生きて来た。
どの季節も街を一人で歩き乍ら、説明のしようが無い空虚感を抱えて漂っていた。明日やる事、出会う人、家事や仕事で、空っぽを埋めようとした自分は、
予定表を一杯にして、土日や仕事の後に誰かと遊びまくっている人達と、なんら変わりない事に気付いた。

では、その頃、私が一生懸命やって来た事って何だったのだろう?
今、希望として持っていた音楽に戻る事って、一体どう言う意味があるのだろう。

分からないことはそのままに。

とカウンセラーさんは言った。

今はただ目を閉じて流れの間を漂うしかないのだろうか。
変わらぬモノはこの世に存在しないと分かっていながら、
居場所のない自分は、失う事を恐れている。

もう、頭が痛い。
何も食べられる気がしない。

悲しくはないけれど
自分がただの置物になってしまったような気がする。

疲れた。

つらい、つらい、つらい

本当はテレビもネットも頭が疲れてしまうので、やりたくないのだけれど、
もう、ここに吐き出すしか無くて、今日やっとPCを立ち上げた。

カウンセラーの先生や、私の人生の半分以上を一緒に生きた家人も
もちろん居て、話を聞いて解決策を考えてくれるけれど、
まだ私を不安にさせ、混乱の渦に陥れることが存在している。

頭が回らなくて、うまく話せなくなってしまった私は
自分の心の置き場が無くて、どうしようも無くつらくて苦しいのだ。
もうこのままならば、早く死なせてほしいと願ってしまうほど辛いのだ。

詳しいことはここにも書けないけれど、私にはもう一人、人生のキーワードとなる人がいて、
10年以上、一緒に行動を共にしてきた。

今はとにかく落ち着いて休養する事が必要な私にとって、
彼との関係がきっかけで、月に何度か冷静でいられなくなってしまう。
論点の噛み合わない諍い、「どうして自分を認めてくれないのか」と言う責めにも似た問いかけ。

もう楽しく幸せな想い出はそこに見いだせなくて、
ただもう混沌とした渦の中に放り込まれて、彼が怖くなって、いくら説明しても理解してくれないことにも腹が立って、過去にどれだけ自分が我慢していたかがフラッシュバックして、
どうしようもなくなってしまう。

その闘いの度に良くなるはずの自分の状態が悪くなって、口も聞けない、歩くこともままならない位に消耗してしまう。
うつ病、暴れる、なんてワードで検索してみた。私が悪いのかと思って。

でも違うんだ。

私がここで投げ出しても、その結果だって辛いことには変わりない。
彼と共にやってきたこと、遣り残したことは
私が良くなりたいと思う希望なのだから。

その希望を捨てて、また失うものがひとつ増えて
その後に来る空虚感に私は耐えられるのかどうか分からない。

今はただ、毎日平穏に暮らしたい。
だって、元に戻れないことは分かっていても

私だって、行きたい所に自由に行けるようになりたい。
自分が食べたいと思うものが食べたい。
毎日、家という刑務所に監禁されて、好きな海外ドラマだって2本も観れば
頭が痛くなってしまい、ただ横になっているしかないのだもの。
お酒も飲めず、雑誌を眺める気すら起きない。
2週に一度の診察がやっとだ。

考えてみれば、母の最期と同じ状態なんだろう。

死ぬ間際まで、外出して美味しいものを食べたがった母を思い出す。
あんなに内臓が悪いのに、この人はどこからこの食欲が出てくるのだろうと
驚きながら母を見ていた私。

どこにも外出できないのに、最期まで髪を染めてほしいと訴えていた母親。

私も同じなのかも知れない。

でも私はまだ母よりずっとずっと若いのだ。
これから生きる年月は母より長いと考えると、こんな監獄から早く抜け出したいのだ。
元に戻れなんて言わない。

せめて少しでもいいから普通に出かけたり
普通に食事したり、映画を観たりする体力をください。

だから私をそっとしておいて。平穏な時間の中に嵐を起こさないで、と願うばかり。
もう私にはどうしようもないから。

自分にとって自然な事、そして不自然な事

最近は精神状態が落ち着いて来たのですが、パニック発作がいつ起きるか、
それをかなり自覚するようになってきました。

今のところ、外出は殆ど出来ないのだけれど、必要に駆られて
病院だとかショッピングセンターにたまに行きます。

人混みがダメですね。あと、商品を選ぶ事もパニックの原因みたいです。
脳を動かして、あれこれ考えて選んだりすると、とたんに疲労して動悸で苦しくなります。

家が一番の避難所なのですが、タブレットでお買い物サイト見たりするのも
ダメだと気付きました。
目がくるくるして、あれがいいか、これがいいか選ぶのがもういけない。
きっと大量の情報処理が出来ない脳の状態なのですね。

出かけて疲れるとお腹が空きます。今の私はあまり食べられないので、低血糖になりやすいです。
お腹が空いた時に何か口に入れないと、これもすぐにエネルギーを消耗して動悸が激しくなります。チョコレートを持ち歩くのを忘れないようにしよう。

パニックでは死なないと言いますが、血圧も脈拍も平常時に比べて、グン!と上がりますので、これはかなり異常な事態だと思うのです。
以前、普通に生活していた時の私も低血圧でしたが、安定していました。
上は98、下は50、脈拍は大体70-80の間
たとえば、パニック時に測って貰った数値はこの位 血圧急上昇し、上120、下80
めまいでふらついた日の午前中に病院で測って貰った数値は
上87、下51、脈拍65
ちなみに混んでいる病院に出かけて少し苦しさを感じた時は
上117、下70、脈拍99
この高低差が何より辛いです。
心拍数が上がる、運動し続けているのと同じ状態。だからご飯を食べても消耗して痩せてしまうのだと感じます。

これは身体の声。

そして身体の声は不自然なものに対して、かなり拒否反応を示すこともわかって来ました。

ずーっと家でシンプルなものばかり食べていたので、たまに市販のこってりしたモノを食べると胃がすぐにおかしくなります。
今日もお弁当を買って来てもらったのですが、揚げ物の油がもうダメ...。

かろうじて買ったもので簡単に食べられるのは、手作りのおにぎり屋さんのおにぎり、果物、生協で買ったヨーグルト、シリアルくらいになって来ました。
生協で取り寄せている野菜や具材を使って家人が作ってくれるものは、胃もたれしません。
家で使っているオリーブオイルでも大丈夫。
添加物があまり入っていないシンプルなパン、ご飯を中心に食べるしかないですね。

先日もスーパーのお肉をやむなく買って鍋に使ったけど、変な匂いがするのです。豚さんにごめんなさい!って思いますが、何か異物を感じてしまう。

化粧品も同じで、何もすることの無い私は家でスキンケアするのが好きです。
全部オーガニックコスメではないですし、最近はちょっと良いものを、と思ってケミカル系メーカー品を使ってみていますが、確かに効果は感じるものの、
私のお肌が言うのです。

「ちょっと違うよ!」って。

だから、今の分が終わったら全部オーガニックに切り替えようかな、と思ってます。
メイクアップは今のところあんまり必要ないし。

もともと、色々な事で麻痺させていた身体と心が
やっと本来の楽でシンプルな姿を素直に求めるようになって来たような気がします。

私はただ、その声に従っていけばいいのかな、と思います。

To be myself 自分になること

今日はお天気が良く気持ち良い。
でも明日は早朝から検診があるので、落ち着かないし、何もする気が起きない。

週に2回、介護で家事をやってもらって本当に助かっている。
動けない中、何とか頑張ってやっていた事をしなくて良いので、その分休養が取れている。

でも、今の私はあえて何もしない事にしている。
もちろん通院もあるので、何もしない、外出しない訳には行かないのだけれど。

今までやって来た事がどれだけ、オーバーワークだったか。
今更ながらに思い知らされている。

そして、私は「本来ある自分」になる為に、何もしないで、
新しい意欲がやって来るのをただ待っている。

もしかしたらそれは、
過去の私と全く違う方向に行く事かも知れない。

子供の頃、したいと思っていた事を純粋に追いかけていたように
今は、若い頃の体力は失われて、もしやりたいと感じた事があっても半分も出来ないかも知れない。
そしてそのまま年老いて動けなくなる日が来るかも知れない。

でもそれで良いのだろう。

成功の味を味わわなくても、あちこち動けるうちにと、飛び回らなくとも
仲間を増やさなくとも、それは私が描いていた摩天楼。

今は身体と心の声を聴く時なのだろう。
だから、自分の思考の向きと、本来の楽な姿を思い浮かべてみようとトライしている。

本当は人混みは嫌い。大勢の飲み会は嫌い。大勢の人とうまくやろうなんて無理。
争いごとに巻き込まれたくない。人の世話ももうしたくない。
ひとり静かに過ごすのが好き。
眠る前の読書が好き。猫の姿を見るのが好き。
緑の一杯あるところ、海が好き。
ストレッチやヨガが苦にならずに気持ち良く続けられている。
スキンケアだけは楽しいから好き。
美しいものを少し眺めればうれしい。

若い頃、私は沢山のものに囲まれ、消費し、色んな所へ行き、
美味しいものをたくさん頂いた。美味しいお酒もたくさん飲んだ。
大勢の人に会い、恋をして一生残る傷を心に負ってしまった。

その傷は時が癒すかも知れないけれど、傷跡は一生遺るだろう。

今の私に必要なのは本来の自分になること。

もう腹五分目でいいのだ。身体の声はそれが楽だと言っている。
添加物が沢山入ったジャンクフードは食べられなくなってしまった。
カフェインレスのコーヒーを午前中に一杯だけ、丁寧に淹れて飲む。
お腹が空いたら、少しずつ食べる。

言いたいことがあれば、素直な気持ちで伝える。
伝える必要がなければ、そのままにしておく。
抑圧するのではなく、let them go 解放して、流していけばいいのだろう。

私は私であるために生まれ変わろうとして、
今は赤ん坊の頃のように、沢山眠り、適量を食べ、愛と平安を感じて毎日を過ごす。
そのうちに、その私は少し成長し、自然な姿で時の流れの中に戻って行けるだろう。

だからその時まで待つことにする。