パニックと不安 2

前々回の日記で「母親の愛」を求めている、と言われた事を書きましたが、実際そうだと思う。
女友達が欲しい。話しを聞いてくれて、分かったよ、いつだって味方だよって、言ってくれる女友達。

Sex and the cityの4人みたいな友情。いつも求めていたけれど
なぜか子供の頃から独りで群れるのが苦手だった。
初めて出来た女の子の友達に裏切られたから、グループが出来、いじめと悪口にあけくれる女子達を見て、それから女の子が信じられなくなった。

だから一対一なら、何とかハンドリング出来るので、いつも団体から距離を置くようになってしまった。

境界性人格障害?かと悩んだこともあったけれど、もしそうなら、自分をそうは疑わないよ(笑)とカウンセラーさんに言われたので、人格障害では無いようだ。

代わりに男の子たちと性的な関わりは抜きでぶらつくようになった。
女性とは年上の人達とならグループでも何とか仲良く出来そうだった。

そんな私は一歩離れた所から女性と付き合っていたのだけれど、
先日20年来の友達を私から切った。
わざと彼女を試したのだ。彼女の誠実さと変化した私にどう対応するのかを。今まで、私は彼女はダメな所もあるけれど、一緒にいれば楽しく、私の事をある程度は大切に尊重してくれていると思っていた。

でも、ある出来事で彼女を試すことによって、その幻想は脆くも崩れてしまったのだった。
私はずるい女になった。

人を見るときに違った目で見るようになった。
それからパニック発作が起きるようになってしまい、もう2週間止まらない。
いつもドキドキして胸が苦しい。
楽しいことを考えたり、猫に触れたりしても治まらない。

苦しいよー。心拍数が上がるということは寿命が縮むことだと思っている。

パニックと不安 1

躁鬱の波はだいぶ落ち着いて来て低空飛行になり、
前々回の診察から、褒められるようになってきた(ここでも褒められる事を期待している変われない私...www)

死ぬことを考える時間も圧倒的に減っている。

しかし、先週もパートナーと大喧嘩をした。
最近の私はカウンセリングの効果もあってか、今まで出てこなかった「怒り」と言う感情が表現出来るようになった。

そもそも、今まで「怒る」方法が分からなくて、自分に対しての攻撃とかムカつく事とかに対する怒りとか、普通の人ならあって当然の感情を吐き出せず、そういう場合でも「自分が悪かったのかな」と感じ、怒るのではなくて、泣いたり悲しくなったりしていた。

もちろん、夫は怒ると非常に怖いので、滅多に怒られるような事はしない。基本的に価値観は同じだから、細かいことが気にならなくなった今は、彼に対して腹の立つこともない。

パートナーは生活上もこれからの私の夢も、全て不安に陥れてくれる...経済的にも、仕事としての対コミュニケーション能力も疑問だ。
治りにくいのも彼がいるせいだと、ハッキリ分かっている。

だからと言って、見捨てることも出来ないし、今そんな事をしたら自分に大打撃が来るのは火を見るより明らかなので、ストレスの元だと分かっていても家族だと思って一緒にいる。

彼は私の「怒り」を知らずに長年暮らしてしまった。
私はいつも物分りがよく、彼の失敗も欠点も自分がフォローして見えないものにしていた。
と言うより見ないフリをしていた。彼の方がキレやすいから。
一緒に音楽をやるのでも、お店の人や仲間との付き合いでも、常にフォローして、自分の怒りをどこかに追いやっていた。

その私が、最近は自分の感情を出して怒るようになった。
「うるさい!」「馬鹿言ってるんじゃねぇよ!」
と口答えする(笑)
まるで子供のように。

彼は驚き、新しい私を受け入れるのがしんどそうだ。
だけれど、頑張ってはくれている。
私もその理由を説明したし、今は不安に思っていることが怒りにつながるから、早め早めに、「こうしてほしい」など希望を伝えるようになった。これは成長なのかな?

そうすると、テレビでニュースを見ていても(ま、殆ど見ないけれど)、SNSをやっていても、腹立ちや不愉快などの感情が沢山湧いてくることに気付く。

私はいつもムカついている女なのだ。
そして怒るという事は大変エネルギーを使うから、鬱で動けない私が怒ると、「躁鬱混合状態」になる。

これが最も辛い。身体的にも感情的にも。

今日、これを書いているのは、ここ2週間程にあった出来事をずっと考え続け、辛くて不安でたまらないから。

変わった私が起こした反応で、20年以上付き合って来た女友達は驚き、たいそうショックだったらしく、
パートナーに会ったときに
「うつごころさん、一体どうしちゃったの?」と大慌てで尋ねたそうです。
パートナーは「治療の過程で、今まで出来なかったことが出来るようになって、新しいうつごころに変わろうとしているだけだよ」
と冷静に答えたそうです。

長くなりましたので、続きはその2に行きますね。

母の愛

最近、ようやく身体が動くようになって来た。

昨日は3年振りに外の遠くのスーパーに自転車で買い物に行けた。
買い物もして、外食もして、パニックも少しで無事に帰れた。

先週の酷い状態から考えたら奇跡だし、回復が早くなっている事を感じる。
けれど無理は禁物。なるべく疲れたら横になり休む。
規則正しい生活をする(なかなか難しい)

今の私の問題は「怒り」の発作。
躁鬱混合状態と言うか、鬱が酷いのに、感情が高ぶり、怒りが湧いて暴れたりわめいたりしてしまう。
薬のせいで呂律が回らない。
昔の自分を思い出すと情けなく、生きている価値も無く
苦しいほどの悲しみに襲われる。

優しく出来るだけの事をやってくれる人が傍にいるのに。

母を思い出し、父を思い出し、自分には身寄りが無い事を改めて思い知り、孤独感で死にたくなる。
実際何度も自殺を試みた。でも死ぬのは本当に難しい。

カウンセリングで「母の愛」を求めていると言われた。
確かにそうかもしれない。
私は女友達も少ないし、親戚も遠く、周りにはヘルパーさんしか女性がいない。
女性は泣いている私を、そっと慰めてくれる。まるで母のように。
「大丈夫だから、少し休もうね」って。

それが本当に心に沁みる。

男の人が頼りにならない訳では無いけれど、
私が「寂しい、苦しい、訳もなく泣いてしまう」ことがあっても
男性はそうやって慰めてはくれず

なぜ泣いているのか、まだ文句があるのか
こうなった原因は何なのか

と私に問い詰める。

説明できるはずも無いし、それは心の中のあふれ出る悲しみや怒りなのに...。
ただ背中を抱いて、大丈夫だから、安心してと言ってくれたら落ち着くのに。
どうした?なにが不満なんだ?
こっちも疲れているんだ。好い加減にしろ

と畳みかける。

私も気の強い部分があるから、その思いやりの無い言葉に怒りと悲しみと絶望感が湧き、言い返し、ものを投げ、自殺しようとし、修羅場になる。

なんて悲しいんだろう。
本当にシンプルなことしか望んでないのに。

私がわがまますぎるのか、迷惑なら死にたいと心底思わせる言葉を投げつける。悲しい。悲しい。

あまりの悲しさに耐えかねて、一昨日、血のつながっていない義理の叔母さんに電話してしまった。
母の弟で大好きだった叔父さんの奥さんだった人だ。

彼女もまた母の1年前に夫を亡くし、今年4年目を迎える。

母の思い出話をして、叔母さんの寂しさを聞いて
心がほぐれた。
母も気の強い嫌な女だったんだな、なんて思って笑った。
母の代わりに叔母さんに失礼な言動を謝っておいた。

そう遠い距離でもないのに、やっぱり会うことは難しい。

母親的な人が欲しい。
今はカウンセラーさんしかいないけど、彼女に母性はなぜか感じない。とてもクールな人。
でも、理解はしているだろうから、母の代わりをしてもらおう。
それだけのお金は払っているのだから、私のこの苦しい孤独な心を救って貰いたいのだ。

甘えていいですか。
誰かに。

緊急避難

私は今、これを友人宅で書いています。
本当は6/10の入院時のことを先に書くつもりでした。

でも、あれ以来、拘束された時の事を思い出し、恐さの余り泣き出してしまうようになりました。カウンセラーさんによると心的外傷を受けたとの事です。
要するにPTSDですよね。
あの体験を充分に分かって貰えない辛さ、鬱状態はますます酷く、ほんの少しのストレスでも心が乱れ、独りぼっちの苦しみで死にたい、以外考えられなくなりました。

今、一緒に住んでいるのは肉親ではなく、もう無条件に私の苦しみを受け入れて安心させてくれる人がいない、と思い込み、ドンドン家人との関係は悪化して行きました。

泣いているだけで、嫌悪され、お説教され、分かって欲しいと伝えても、分からない(冷静になって考えてみれば人の気持ちなんて、そうそう分かるものでは無いのは重々承知なのですが、)無理やり答えを求められ、話す言葉は全て曲がりくねって、過去の過ちや悪い出来事に転化してしまう。そしてお互いに疲れ果て、私の鬱はもっと酷くなり、家に安心出来る居場所は無くなりました。
キッチンの片隅で恐怖と悲しみ、理解されない怒りと迷惑をかけている罪悪感がごちゃ混ぜになり、安心出来る場所は何処にも存在せず、とうとう私は堪らなくなり、家人にも迷惑をかけたくない思い、で、友達に助けを求めました。

すぐに駆け付けてくれた彼女に抱き付いて泣き崩れました。何も言わず肩を抱いて、どうしたのかな、話せるようだったらゆっくり聴くよ、とゆったりと私を落ち着かせてくれました。そして、生まれて初めて、私の人生を全て聞いて貰いました。
彼女との付き合いの中で言わなかった事、沢山あります。
私は他人に悩みを話さないタイプだったし、他人との距離感を大切にしたかったから、人の話しは親身に聴いてあげたいけど自分のはあまり言えない。
墓まで持ってくと決めた出来事も幾つかあります。
でも、昨日は洗いざらい聴いて貰いました。彼女は決して否定せず、時折り、疲れたかな?大丈夫?私は大丈夫だからね。最後まで話しを聴かせてね、と優しく促してくれたのです。
大切な時間をありがとう。
恐らく3時間以上、聞いて貰ったと思います。

誰も悪くない、
あなたは辛いのにちゃんと家族の事を考えてあげて、気を使い過ぎちゃったよね。家族だって、ただ疲れてただけだから、誰も悪くないよ。と、彼女は言いました。

私は母の愛を求めていたのだと思います。
言葉は少なくとも、なんらかの出来事に対して「そう、それでいいのだ、仕方ないけど悲しいけど、いつもそばに居るから、あなたの味方だからね、何かあったらおいで。そして自分の思った通り生きなさい」と言ってくれた母。
言葉は少なく、無言の時もあったけれど、無条件の愛がそこにはありました。

贅沢ですよね。冷静になってみれば自分でも分かっています。
でも、今の地獄のような苦しみを癒すには必要だったのです。
ありがとう。友よ!

勿論、分かっています。毎日私の苦悩や涙に疲れた切った家族は、そんな余裕がないことを。
言い争いの中でお互いを責め合ったけれど、私だって貴方達に対していつも無条件の愛を持っていることを分かって欲しい。

そして長い私の人生の話しが終わった後、やはり家に居るのがとても怖い、と言う私を彼女は自宅に連れて行って泊まらせてくれました。
旦那さんもいてご迷惑かけたと思います。でも何事も無かったように暖かく迎えて下さり、何気ない世間話を少しして、私は久し振りにゆったりとした平穏な時間を過ごしています。
今は、彼女は仕事に出かけ、お休みの旦那さんも気を使ってか、外出されて、独りで何もする事無くゆっくりとした時間を味わっています。
家に置いて来た病気の猫のことは気掛かりだけれども、こうしている事が何よりも私を癒してくれています。

ずっとここに居られる訳でも無いし、病気の猫が居るので結局は家に戻らなければなりませんが。

家族には多くの事は望んでいないつもりでした。
でも大切な存在だから、唯一助けを求めても良い存在だと思っていたから、
共感や慰め、安心を与えてくれるだろうと思っていたのです。

でも、それが分からないと言われた時の絶望感にまだ、心は震えています。

だから、贅沢かもしれないけれどあえて、家族に知っておいて貰いたい。
検索すればいくらでも出てくる常套句かも知れないけれど、目に見えない傷だらけの私のココロとの接し方を、私も検索しただけだけどまとめてみます。
これは押し付けでもなんでも無く、ただ客観的な事柄なのだと受け止めてくれたら、と、願います。
平穏な時間、家族も過ごせているでしょうか?

◾️鬱症状
 ・意欲減退・憂うつ感・悲観的、絶望的思い・睡眠障害・食欲低下・性欲減退・頭痛、めまい、首や肩のこり・人を避ける・死にたいと思う・考えがまとまらない、等。
うつ病になると、ほとんどの人が、死への思いを持ちます。他のこととは異なり、実行されてしまっては取り返しがつきませんから、慎重な対応、接し方が必要です。自殺は、うつのどん底ではなく、その前後に起こりやすいことも要注意です。うつになると、生活全般にやる気が失われます。

◾️うつ病の人との接し方の基本
上で紹介した症状は、その人の性格や精神の弱さの現れではなくて、うつの病気の症状です。その人を責めるのは間違っています。またその人が変わってしまったと思うのも誤解です。病気が治れば、症状も消えます。

うつ病の人との接し方を本やインターネットで学んだだけでは、なかなかうまくいきません。それは、あなたが混乱して悲しみや怒りに包まれているからです。患者さんの困った言動は、その人のせいではなく症状だと理解したうえで、冷静な対応ができるようにしましょう。

◾️うつ病になりやすい人
 まじめで、能力があり、責任感の強い人。物事を、順調に、そして完全に成し遂げようと考える人。うつ病の人を見ると、怠け者に見えることがありますが、本来は全く正反対の働き者の人達です。むしろ働き者すぎたために、脳が疲れた状態になっているとも言えます。そして、このようなまじめな人だからこそ、うつ状態で仕事のできないことが辛くてたまらないのです。

◾️うつ病の人との接し方基本2
今はうつ病にかかっているけれども、もともとは立派な人で、病気が治れば元の立派な人に戻れるのだと信じましょう。

◾️うつ病の人との接し方:心の病を持つ人との一般的な接し方の注意点
聞き上手になる。
よく話を聞く。理解と共感を示す。
(→カウンセリングマインド:話を聞くということ)
会話の内容より、感情をくみ取る。

人間的な温かさを持つと同時に、相手の問題に巻き込まれて、動揺したりしない。
「私はあなたの味方です。常にあなたに関心があります。」ということを伝える。
病んでいる部分を指摘するのではなくて、健康な部分を評価する。
良くなるためには時間がかかることを忍耐を持って覚悟する
自分自身の感情(怒り、不安、焦りなど)をコントロールする。

*このような、カウンセリングマインドが必要です。

ただし、こうした冷静な態度、接し方をとれるためには、ご家族や友人、同僚のみなさん自身のストレスに負けない心の健康が必要です。また心に関する正しい知識が落ち着きと冷静さを生みます。

◾️うつ病の人との接し方:言葉がけ、禁句(家庭で職場で)
休養をとるように勧める。
そうはいっても、うつ病になるようなまじめな努力家の方にとっては、休むことはとても難しいことです。私は、こんな風に言います。
「そうですよね。早く良くなって、仕事や学校へ戻りたいですよね。だから、一日も早く良くなるために、今はしっかり休んで治療しましょう。」
叱咤激励はしない。
普通の病気であれば、たとえば職場の上司が病気になった時、
「早く元気になって会社に来て下さい。課長がいないとみんな困っています。」といった言葉は、良い励ましの言葉になるでしょう。
しかし、うつ病の患者さんには、こんな接し方は逆効果です。ますます自分を追いつめることになるからです。むしろ、たとえば
「お父さんが入院していても、家族みんなで家を守っているから、お父さんは心配しないで、ゆっくり病気をなおしてね。」といった言葉や態度、接し方が有効です。
励ましてはいけないとしたら、どんな接し方が良いのか
不用意に励ますことは厳禁でも、希望を与え、不安や絶望をやわらげる接し方はとても大切です。たとえば、「きっと回復します。」「人間、良いときと悪いときがあって当然です。」「うつは波だから、必ず引いていくものですよ。」
などの言葉です。うつ病は決して不治の
病ではありません。憂うつな気分は必ず解消されていきます。
そして
退職、離婚などの重大な決定は、延期させるようにします。うつ状態の時に、退職や離婚の手続きをしてしまい、後で後悔する方々がいます。 これも、うつ病の人との接し方で大切なことです。

こちらのサイトから引用しました。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/utu.html

入院と拘束

先週、救急で運ばれて、入院しました。

鬱気味で泣いていました。また自分など居なくなってしまいたい、と。

どうしても自分を傷つけたい気持ちで、睡眠薬飲んでお酒を飲んで
リストカットしてしまいました。
自殺するつもりは無く(オーバードースリストカットでは死ねる訳が無いのは当たり前だと分かっています)
ただただ、悲しくて誰にも分かって貰えない事が身に沁みて…。

そのまま眠ってしまいました。別に薬物を過剰摂取してはいません。


その後の悪夢のような出来事を思い出して、今も怖くてどうしても良いか分かりません。

今日はもう書く力が残っていないので、
詳細は明日からぼちぼち書いてみようと思います。

久しぶりに

時々は死ぬことを考えながらも、夏を迎えそうです。

でも、なぜまだこんなに辛いのだろう。

心が辛いんではなくて

身体が痛い、疲れる、動けない、眠れない
ご飯が食べられない、何を食べても味がしない
音楽を聴けない、映画を観るのもやっとこさ

小さな小さなことなのに

今の私には大きな大きなことで

苦痛に満ちたこの世界

今日は疲れ果ててしまいました。ゆっくり寝ます。
明日はのんびり出来ますように。。。

死と平穏

私は特殊な環境で、特殊な人間関係の中を生きている。

お金にはならないけれど、自分の一生の役目だと漠然と確信を持っている音楽。
その音楽には無くてはならない人。

私の病気のせいか、彼の元々のアイデンティティのせいか
理由は分からないけれど、お互いの存在を必要としながら、
病気の始まった頃から衝突が激しくなった。

もうどうしようも無い袋小路まで追い詰められて

今、動けない私がただひとつ生きるための「希望」として考えていたものが
逆に私を苦しめているようで、何度も捨てるかどうか自問自答し続けている。

30代になったばかりの頃、大好きだった父を亡くし、
それから母と二人、一緒には暮らしていなかったけれど、
無意識に母がいれば大丈夫、と感じていた。

東北の大震災のあと、可愛がっていた猫が突然亡くなり、
その後、母もどんどん病気が悪化し、昨年末に亡くなり、

私は大切なものの死を身近で3度見ているが

そのほかにも小さな頃から死は身近にあった。
小さな頃に大好きだった母の末の妹さんが自殺した時も、子供心に辛かった。
大学の同級生が自殺した時も。
祖母も二人とも死に顔を見た。
母が死ぬ少し前に、可愛がってもらった大好きな叔父が亡くなったときも悲しかった。

私の周りで起きる死。死体、死に顔。葬式。焼き場。
その後で始まる喪失感。

生きているうちに離れることも喪失に違いない。

私はもう大切なものを亡くす勇気が無く、混沌とした苦痛の中を何のあても無く生きる。
起きて、顔を洗って、食べて、排泄して、寝る。

その繰り返しが人間の生活。

なんの意味が無くてもそれを繰り返していれば、終わりが自然に来るのだろう。

夫は苦しむ私を見て、「一緒に死のうか」と言ってくれた。
その時、私はとても幸せで平穏な気持ちになった。

「死」は静かで、平穏をもたらしてくれる。
生きなくていいのだ。毎日起き、食べ、排泄し、食べるために稼ぎ、眠る。
苦痛はいつまでも去らない。意識が無くなるのは寝ている時間だけで。

「死」は私にとって最期の切り札なのだ。
もう亡くすことにおびえなくていい。
平和で静かで、そして共に死んでくれると言ってくれる人。
この世に未練はないと言ってくれる人。
嬉しくて幸せで平和な気持ちになったのは久しぶり。

死は怖く、苦痛に満ちたものだと思っていた。その悲劇的な喪失は
行き続ける者にとって、扱いがたい感情であり、先の見えない苦しみだと思う。

でも本当に死の床に付ける人は幸福なのだろう。
後片付けを生き残る人に任せて。

私は今、遺るもの(猫たち)が心配だから、それを誰に託そうか、とか
財産の始末には管財人が必要だとか
エンディングノートを作らなければ、と思っている。

出来れば、子供のいない私のお金はユニセフなどに寄付したい。
そして猫が幸せな余生を送れるように。

あとは方法だけだ。
夫と一緒なのが心強く、温かい。
二人共、一生懸命生きたから、もう充分。

そして私達が居なくなっても、時がそれを風化し、周りの人は全て忘れていくのだ。
それでいい。
静かで何もない場所へ旅立つこと。

適応出来ない、理解しえない場所にとどまり苦痛を受け続けるよりも、ずっと。